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 速く走るには速いバイク??
H:  私が遊んでいるMLの中で「速く走れるようになるにはどうしたらいいのか」という話題で盛り上がっています。
 まぁ、「速く」というから、あんまりいい気がしないかもしれないけれど、要はその辺の講習会で、とかのレベルでの話として考えてね。

 で、ある人の意見によると、「良い路面、いいタイヤで走る」「速いバイクに乗る」というのがあるんだけど、1つ目はまぁわかるとして、2つ目のはなーんとなく引っかかるの。速いバイクに乗れば性能がいいから速く走れる、ってのは確かにそうなんだろうけど、逆に誤魔化して走ってしまうんじゃないかなぁ.....って。
 既に速く走れる人が性能のいいバイクに乗って更に速くなるとか、良く整備されたバイクに乗って速く走れるようになるっていうのだったらわかるんだけど、ただ新しいのに乗り換えるのって.....。古いバイク(ごめんなさい)で速くかっこよく走れる方もここにはいっぱい居るから 余計に引っかかるのかも。

D:  妙につっぱっるつもりはないけど、「速い」ってなに?

 それに答えが出れば、「どうしたら」にも答えが出るんじゃない?
 「いつもの自分より速く」
 「周りの誰よりも速く」
 「ノリックよりも速く」
 「きれいに走れたら速いと感じる」
 「80km/hくらい」
 「300km/hオーバーで」
 いくらでも「速い」ときはあるけど、全部答えが違うじゃん。

 「今までの自分より速く」なら「速いバイクに乗る」は正解だよ。

 どのバイクに乗っても使いこなせるなら「誤魔化す」ことにはならないでしょう。昨日と同じ速さで走るのなら誤魔化せちゃうけどね。でも、公道である限りは、昨日より今日、今日より明日というところに限界が生じる。限界を引き上げるためにバイクの性能を活かせる人なら「速いバイク」でいいの。

 でも、それでは楽しくないと思う人もいるわけだ。
 路肩をカッ飛んで「速い」と思ってる人たちもいたんでしょ?

 レーサーは1年落ちの車体じゃ勝てない。だけど、毎年、ツーリングバイクを買い換える人っていないよね。ふつうは。
 そしたら、自分がこれと思ったバイクを乗りこなして、そのバイクで一人前に走って(=速い 絶対速度は人とバイクで変わってくるけど)こそ達成感があるんじゃない?

B:  速いバイクに乗るって事が速く走りたいって事の解決には成らないと思う。
 スピードと言うことの外形部分では確かに速く走ることには成るけどそれは条件であって速く走るという事に直結することではないただ単に速度を上げると言うことが速く走ると言うことではない。
 そのことが解っていればバイクを変えれば早くなるなんて事は言えないと思うよ。

 端的に言ってその人の中の速さを越えるには走り続けるしかないよね。
 ただ走るだけじゃ駄目、考えて走る、感じて走る、その単調なスキルの繰り返しの中に答えがあるんだよ。
 いきなりレベルが上がるみたいに出来ないことがいきなり出来ることはない出来たり出来なかったりその都度どうしてか、なぜそう感じるのかそうして徐々に出来るようになって行くんだ。

 バイクを変えれば早くなるなんて答えは答えじゃないんだよ。
 速く走ることが出来るようになれば速いバイクに乗っても速く走れるだろう。
 へたくそが乗ればストレートですらアクセルを開けきれずにチョロい速度でしか走れない。

 レースのように対外的な速さを誇りたいのだったらそれは必要不可欠な答えかも知れない。
 でも公道を走る俺等には対外的な速度より、より自分の中の速さと言うことに耳を傾けなくてはいけない。
 速度・速さという物はスピードメーターの中にあるのではなくて、自分の肌に感じる快感だったり怖さだったりする物だから

M:  じゃぁ違う意見なんぞを・・・

 「速く走る」う〜ん・・・ほとんど永遠の課題みたいな感じだね。
 ま、ここでの正論はほとんど二人に言われちゃっているから、僕は他の切り口でちょっと意見なんぞを・・・・

 まず最初に「速さに対する概念・欲求なんて人それぞれ、千差万別」なのは間違いないと思うのね。
 その概念が似ている同士が一般的に「仲間」としてバイクでツルむんだと思うんだ。だからメーリングリストでも何でも、そこで語られる「速さ」が自分に合わないと思ったら、そこから離脱するべきなんじゃ無いのかな?

 速さの概念なんて他人に押し付けるべきモノじゃ無いし、また他人の概念を我慢して共有するもんでも無いと思うしね。


 さて、ちなみに僕は?と言うと、実は「速いバイクに乗れば速く走れる」と思っています。
 速いバイクって、やっぱり性能の良い減速装置(ブレーキ単体のハナシでは無く、トータルでの減速するためのシステム)が付いているから、それだけ安心して直線での速度を出す事が出来るのは事実だよね。
 で、高出力のエンジンが搭載されているから、コーナーの脱出でも発進加速でも明らかに速いよね。
 さらに車重が軽いから加速も良いし、コーナリング速度も高いし、減速も有利。
 おまけにグリップの良いタイヤを選択出来るから、ブレーキングもコーナリングも加速もすべてにおいてロスが少ない。

 ハッキリ言って、誰がどう言おうと「速いバイクに乗れば速く走れます」これは間違いないと思う。乗っているやつがヘタレかどうかなんて関係無いんですよ。
 速く走「れ」る、つまり、速く走る事が「可能」なんですよ。

 僕が今のバイクに乗り始めてもう8年になるんだけど、最初の数年と今とではハッキリ言って全然速度が違うのね。
でも、それはバイクに慣れたとかって事じゃ無くて、色々な部品を変えたりする事によって速いバイクになったんですよ。これは間違いない事実なんだ。

 ただ、僕が求めていたのは「伊豆スカイラインの全線を走るのに何分かかるか?」を縮めることでは無くて、「伊豆スカイラインの全線を走るのに何回コーナリングの快感を得られるか?」なのね。
 そのために「気持ちよく安心してかけられるブレーキシステム」を求め、「意のままに操作出来る車重になるように軽量化し、グリップレベルを上げるためにホイールを換装し、ギャップに乗っても恐くないようにマトモに動くサスペンションに換装し・・・って続けているんだ。

 同じ手段を追っている人でも、目的は違う人がいてもなんら不思議は無いと思うのね。
 つまり、同じように改造したり、もしくは速く走れるバイクに乗り換えたりしても全然不思議は無いと思うんだ。
 ただ、求めているものが僕とは違うってだけだと思う。

Y:  ども!

 新しいバイクで誤魔化しても良いから速く走りたい。


 もう言われているけど、速く走るって言うのが何に対してなのかで「誤魔化し」かどうかの答えは色々と違ってくるよね。僕はバイクを換えることによって、その人がより安全に速く走れるのならそれはそれでいいと思うんだ。ま、それが246あたりのバイク仲間だったりすると「ずるぅ〜いぃ!」の一言もグチりたくはなるけどね。ま、せいぜい冗談や僻みでしかないけどね。

 例え同じ人が同じ速度で走っても、速いバイクで走ることによりマージンが増えるのならそれでいいんじゃないかな。

 逆に、速いバイクに乗ることで自分個人の限界を見誤ってしまうようではダメだけどね。

 僕が自分で感じるのは、テクニカル・メンタルの両面で明らかに坂道を転がり落ちているってことかな。その自分を立て直すためにも一息いれられる速いバイクがほしいとは思うけどね。安全かどうかは別として、自分が一番乗れているって思ったのは20代初めから半ばくらいまで。でも周囲の人の安全も含んだ意味では、今の方が「速い」かも。

 バイクの速度そのものは「遅い」けどね。(^^;;;

 だからと言って、その「速さ」が自分の求めている「速さ」...と言うわけではないのが残念でならないね。

 では自分の求める速さってなんだろうなぁ?

 文字にすると「いつ」「どんな舗装路でも」「どんなバイクに乗ったって」「誰よりも」速く走れるようになりたい...ってことなのしれないが、そんなの最初から無理無理。じゃ何なのかな?と考えるに上手く言葉では言い表せないことに気がついた。そこに拘りの何かが存在するのかも。

H:  す、すごい!
 そんなのができたらとてもいいけど 私がそこまで求めていたら達するまでに疲れちゃいそう。私だったら、乗っていて恥ずかしくない乗り方ができばいいや。

S:  僕には、 「良い路面、いいタイヤで走る」「速いバイクに乗る」のどっちも正しいことを言ってるけど話が噛みあってないだけのように見えるけどどうかな?

 「速いバイク」というのが曖昧で、要するに性能の良いバイクということなのだろうけど、速く走るために性能の高いバイクを選べばよいというのは事実で、質問が「速く走るためには」なのだから「速いバイク」という答えになるのは当然だと思うな。もちろん、いきなり究極を目指そうとしているのではなかろうし。

 けれども、性能が高いバイクで速く走れても納得がいかないのが、バイク乗りらしさなんだろうと思うよ。そこに、引っかかるんじゃないの?

 例えにだしちゃうけど、どんなにカタナに手を加えても、R750に乗ってる時のほうが速いと思うんだよね。それでもカタナに対するこだわりがあるから両方持っているわけで、レースじゃないのだから、誰でも性能だけで語れないものがあるはずだよ。


 誰だって、RZVよりR1に乗ったほうが速いと思うしさぁ(笑)

 でも、R1で速いより、RZVで頑張ってるほうが格好いいのがバイクだよなぁ、、、(涙)

H:  「速さ」に対してはいろいろあるのはわかっているの。
 たぶん、その話題に出ていた人たちは今の自分より速くなるためにという感じだったんじゃないかな。でも、だからといってそのためにバイクを換えるのって、何かバイクが可哀想な気がしてしまって.....。そのバイクの性能を限界まで出し切ってダメなんだったらわかるけど。
 新しいバイクに乗れば様々な改良が加わっているから、乗り手には乗り易くなっている事が多いのはわかるんだけど、でもそれだと自分がバイクに乗せてもらっているんであって、自分の走り方が速いのではなくてバイクのおかげで速くなっているだけじゃないのかなぁって、考えてしまって。(一部の人はそうではないと思うけど)

 うーん、何だろ。
 よくわかんないけど、速く走るためにバイクを換えるってのが気に入らなかったんだと思う。(やっぱり精神的にまだまだ子供かも)
 バイクに対する愛着の問題かもしれないけれど。
 乗りたいバイクに乗ってそのバイクで楽しく走れるようになれば自然と速くなれるんじゃないのかなぁって思っていたから、ちょっと悲しかったのかもね。

 私も「速く」「速く」と思うことは多いけれど、心の余裕を無くしてまで速くなりたいわけじゃないの。まぁ、いつかはレベル的に追い付いて ここの人達みたいにかっこよく走れるようにはなりたいけれどね。(^^)

B:  えーーー全然謝ることなんか無いヨォ
 速度に対する認識がそれぞれ違うのは当然だし、速く走るといったときにどういったことかを思い浮かべるのは違わない方がおかしい。

 物理的な速度だったら確かに単純にバイクを早い物に変えるというのは手段ではあるけど、それを是としないのはそのバイクに対する思い入れがそう感じさせるんじゃないかな?
 バイクはただ単なる道具ではない証なのだな。
 みんなが何のかんの言っても古いバイクを換えないでいるのも同じ根っこがあるから。
 ここにいる奴らを観てごらん?
 ほとんどが90年代の古バイクを後生大事に抱えている。
 俺だってもっと速く走りたいという欲求はあるけど、今のじゃなければ嫌なんだ。
 理由なんか無いんだよ。
 新しいのを買ったと聞くとチョイとばかりうらやましいけど、それでも自分のメインは変える気はない。

 安全性云々については最新も少し古いのでもそう変わらないと思う。アクセルは簡単に開けられるけど、ブレーキを使うのは難しい。アクセルを開けるのは気持ちいいけどブレーキをかけるのは怖い。

 ブレーキ自体の性能は上がっているだろうが、それ以上に加速性能が上がっている今コーナーでの自爆事故の多発という事実がその言葉とは裏腹に見える。

 車よりはるかにヒューマンファクターが多い乗り物だし、アクティブセーフティに付いてはもともと無いも同然の物だからね。

Y:  けっ!誰が90年代のバイクだよっ!俺のは最新型だ!...って気がつくと5年半も乗っているのかぁ。なんか長いような短いような不思議だな。僕は結構バイクの移り変わりが激しくて、どのバイクもあまり長くは乗っていないんだけど、その中で一番長く乗ったやつとほぼ同じくらい乗ったことになるんだなぁ。でも、乗った機会も距離も半分以下なんだよな〜。

 この話題を読んで、自分がとても好きだったバイクにしたってそんな程度しか乗っていないのかって思うと、改めて自分は浮気性なのかと思ってしまうな。そんなことはないはずなんだが...。

 自分の好きなバイクに対してはどうも機械を越えた完璧さを求めすぎるのかもしれない。金属部分の接合部が気に入らないとか、僅かなバルブ音のバラ付きでバイク屋に持ち込んで困らせたりとか。

 今のバイクが自分のイメージするバイクになるんだったら、R1なんて要らないんだろうな〜。

H:  そーだね。

 たぶん、あれに乗っている時が 一番自分らしいかも。
 その辺にあるバイクに比べたら重いし大変かもしれないけれど、でもそれはそれでかまわないと思うもの。
 「旦那とバイク、どっちを取る?」と聞かれたらちょっと考えて(考えるふりかも)バイクを取ると思う。(^^;

>俺だってもっと速く走りたいという欲求はあるけど、今のやつじゃなければ嫌なんだ。

 あ、その考え一緒一緒。(^^)
 やっぱり、今の自分のバイクじゃないと意味無いよねー。

 .....でも、じゅーぶん速いから もういいじゃない。
 ちょっと私にも分けてよ。

O:  今のバイクも17000キロ位乗って、ようやくリッターバイクがどんなものなのか分かり始めてきました。あの性能を使い切るのは無理ですね。
 ハングオンとかもだいぶ出来るようになって、アクセルワークもようやく分かってきました。ブレーキングもだいぶ出来るようになってきました。それにしてもリッターバイクはお金掛かりますね。タイヤはいいのしか使い物にならないし、1000〜2000キロで無くなっちゃう。う〜、内需拡大に貢献してるとしか思えなくなってきました。でも飽きた訳じゃありません。

 最近CBR250R買いました。タイヤの値段は半額だし、転けても平気だし。
 これでスラロームとか、8の字とか、ちょっと基本を勉強しようと思ってます。
 峠を走っているだけだと速く走ってるように見えるだけしか上手くなれないことが分かりました。もっと基本を磨かねば。

 「そのバイクの性能を限界まで出し切ってダメなんだったらわかる」というところが引っ掛かる理由だとしたら、みんな最初に買ったバイクを一生手放せないことになっちゃいますよ。

H:  それを言ったらそうなるんですよねぇ。(--;
 確かに今のバイクになるまでには何台かバイクを変えてきたことはあるので。まぁ、それらにも「それなりの」理由はありますけどね。

 廃車にしちゃって学生だったから修理代まで出せなかったとか、乗りたいと想っていたバイクが目の前に出てきたから、とか。
 少なくてもファッション感覚に近いような気軽な買い替えはないですけど。(^^;

D: >> 文字にすると「いつ」「どんな舗装路でも」「どんなバイクに
>> 乗ったって」「誰よりも」速く走れるようになりたい...

 さすが年の功。一番的確な表現じゃん。

 自分が選んだバイクに愛着があって、遅いバイクを選んだつもりがなければ(実はあっても)、バイクを買い換えることを速く走る条件と考える者はいない。

 自分がバイクのポテンシャルをすべて引き出してない自覚がある。
 速さをバイクのせいにして、買い換えて速くなっても、またそれはそのバイクの100%ではないことがわかってくる。どんなバイクでも70%でしか走れないんだと諦観できたら、元のポテンシャルの高いバイクに乗れば、その分速くなる。

 なにがなんでも速くありたい、と思うとき、みんな、買い換えることが有効であることは分かってる。
 と、同時に目の前のR1を追いかけたとき、自分のバイクのポテンシャルが足りないことより、腕がそこまで追いついていないことを肌が感じている。ましてや、その状態で抜けてしまうR1がいたとき、どのR1に対しても「自分のバイク」で抜くことが目的になってしまうのよ。

 R1でGSXRを抜いたことより、RZVで抜いたことの快感の方が高くなってしまう。


 たぶん、今のバイクが通用しないと納得できれば、買い換えてるよ。
 だけど、「リッターバイクが.....あの性能を使い切るのは無理」で、いつまで経っても、使い切れた気がしない限り、そのバイクで戦いに赴きたいんだな。

 その反対に、ポテンシャルの不足がはっきりわかるほど古いか小排気量だったりすると、こっそり、足回り変えるなんてことをはじめだすのだな。
 だってぇ、絶ぇぇぇぇぇっ対、楽だもん <新しいバイク

D:  「どっちも正しいことを言ってるけど話が噛みあってない」
 どっちも正しくて、でもどっちも僕らの答えじゃない。

 で、思った以上に答えは同じ。ちょっと、面白みがないかな(^_^;)

 だから、小僧が50から250に乗り換えて速くなったって、当たり前。ただ、400から1000に変えて速くなるかどうかはわからない。なったとしても、それを600で抜く楽しみを知っている人は知っている。
 たぶん、そいつらすら抜けなくなったら、みんなバイク買い換えるよね?(^_^;) きっとセカンドバイクに600RかR6買うと思う。

 「自分の走り方が速いのではなくてバイクのおかげで速くなっている」相手は、どこででも抜けるスキがあるから話題に含まれてないの。
 たとえ一瞬の300km/hを出されても250ccで置いてきぼりになる気がしない奴は多い。