速けりゃエライ? ケガと改造は.... Repair Diary Monologue Index HOME
 改造について...
D:  改造に関する記録をHPに載せて以来、最初から改造ありき、のような質問が舞い込みはじめた。
 「FZ買って改造したいんだけど」って。
 僕は、ノーマルを知らないうちから改造を前提にした質問をされてもアドバイスのしようがないし、バイクがかわいそうだと思う。

J:  この人たちは聞く相手を間違えている。
 FZは、カスタム目的で今の形になったのでは無く、修理のための現実解を突き詰めていった結果として今の形になったのだから....
 丁寧に説明してあげるなら、そもそも、なぜエンジンを乗せ変えるハメになったのかを語らないと始まらない!?
 15年以上前の750で、全開の1100どもを追い回して、1日に1000キロ以上走るって。
 それで、彼がカスタムをあきらめたら、揃えた部品を格安で譲り受けましょう。

D:  うぅぅん。「追いまわして」じゃなくって「引きずりまわされて」だと思うが。
 みぃんな、いい年して峠で250蹴散らす1100だとは言っておこう。
 そういやぁ。「族」を蹴散らしたときも先頭行かされたなぁ.....

M:  彼らの一番の問題は「一体何の目的で何を目指して改造をしたいのか全然分からない」だと思います。
 速いバイクが欲しいなら、迷わずR1を買えばよろしい。
 ここの約二名のような速度域はともかくとして、ある程度までの速度であれば、R1を買っただけで入手できるのは間違いない。
 また、なんらかの思い入れがあってFZが欲しいのであれば、まずは完調の状態でのFZに乗ってから考えるべきであって、完全な状態を知りもしないで改造をしようってのはすでにその段階で無理がある。

D:  彼らの改造の目的は、僕らにはわからないけど「バイクはいじってなきゃカッコ悪い」とかいう社会があるんだろう。で、ベースはこの辺が手ごろ....と。
 ただ、僕らはそういう社会に属したくもないからわからない。バイクの性能を自分の限界と相談して駆使するという使い方の中で、ノーマルの性能は馬鹿にできないものがある。そういう車種を選んで購入しているわけだから。エストレアでR1をぶち抜きたいと思うやつはいない。もし、エストレアが好きなら買えばいいけど。R1をぶち抜きたいなら別のバイクももう1台ないといけない。

M:  間違いなくそいつは挫折するか、まともに走りもしないバイクに嫌気がさしてバイクヤメちゃうか、それじゃ無ければマトモじゃ無いバイクなのに、それに気がつかないで自己満足で乗るかになるでしょう。それはそれで良いかも知れないけどね。

C:  バイク本体より先に改造パーツを揃えるのは如何なものかと思いますね。
 例えれば、これから付き合うはずの彼女の服や靴を揃えるようなものですから(^^;
 まずノーマルの良さを味わってからモティファイに進んだ方がより深く付き合えると思うんですか・・・

A:  あくまで走ってなんぼのいちライダーですから、ノーマルの乗り味から楽しむようにアドバイスしたいですね。
 その上でマシンをモデファイしてほしいですな。
 この前美祢サーキットのオープン耐久レースで国際ライセンスライダーの知人が、事故車再生のドノーマルサンダーキャット600(カウルボロボロ、チェーンはサビサビ、ブレーキホースもゴムのまま!)で並み居るレース仕様の最新型YZF−R6を押さえて完走しておりました・・・ノーマルの潜在性能ってすごい?でも人間がすごいんだろうけど。

H:  そんな人 とっとと除けて正解だよぉ!
 ちゃんとしたのを乗ってもいないのに すぐに改造しようだなんて ホントにFZのオーナーになるのが望みなのかどうか 私としては???だね。
 きっと そんな人が目の前に居たら 必殺ぐーパンチ ○(^0^)o でしょう。

 そんな人 うちの近所にもいるけれど 個人的には なーんか 嫌。
 自分のバイクは大していい音でもない(むしろ走り方も迷惑)くせに こっちがバイクを拭いていると寄ってきて あれやこれやと 改造のアドバイス。
 思わず「主人のバイクを頼まれて拭いてるだけだから バイクのことはわからないの」と言ってしまった。(^^;

D:  無改造のバイクを見て、バイクは改造ありきで話を始める。
 女の子だから「改造したくてもできないんでしょ?」って思ってるのかな。

 そんな話して女の子が喜ぶと思っているかのような言動をみたことはあるけどね。

B:  はじめに改造有りきってのはバイクに限らず、何でも人と違ったモノを持つという最近の風潮の現れじゃないの?
 人との差別化をモノに頼るって奴・・・・

D:  差別化というより、僕は「同化」だと思うんだけど。「仲間がいじってるから」ってのは半キャップ以外をかぶると仲間はずれになるみたいな、理解できない帰属の証明だろう。

B:  同化でありその中の細かい自分のアイデンティを出すつもりなんだろーな。たとえば同じモノを使っていても、あいつとは貼ってあるステッカーが違うとか、ワシにも解らない同族意識の中での仲間からはずれるという冒険を犯さないささやかな自己主張であるとか思える。
 レアアイテムだの限定だのって最近多いじゃん。自分の個性とか能力に自信がないからモノに頼るんだろーーなぁ。

D:  多少は、自分にもそれがなければ、みんなZZR乗ってるぞ(1名除く?(^_^;))
 まぁ、差別化にしろ同化にしろモノで証明するというのはそのとおりだな。

B:  イヤーみんなZZRと言うのはどうだかなぁ・・・
 それが造られたときの思想とか走るスタイルのこだわりから言ってもSは乗らないと思うし、Pも乗らないと思うぞ。まあバイクに乗らない奴から見れば同じ事だろうけど選択の基準が確かにあると思う。

D:  でも、乗らない理由は性能だったり、ブランドイメージだったり、用途だったり。自分でも言葉で説明できるかどうかわからない。すくなくとも、バイクに乗らない人間に説明してわかってもらえる言葉ではないだろうということだ。
 それと、道具を改造するというのは否定しないけど、道具であるなら機能的な改造でなければイヤだな。意味のない改造行為も改造したやつもキライだ。
 で、機能を求めるならストックの状態を知りもしないで改良なんてできるはずがない。

B:  最初に改造ありきで機能なんか求めていないと言うこともあるだろう。機能というモノを求めるには経験とそれに裏打ちされた指向がなければ出来ようはずもない。シャフト径をカラーで何とかするなんて言いだすようなアホに機能なんか求められるスキルがあるなんて思えないよな。

D:  タイラサンとか、無名でもレースやってきた人とか、「こういうコンセプトのバイク作ろうと思っているんだけど、ベースはFZにしたい」って経験に基づいて車体も部品もパラに集めてるんならわかるけどね。それでも、賛成するかどうかは知らない。「ドラッグマシン作る」とか言われたって知らん。知らんといわれて困りもしないだろうから、知らん。
 「バイク来たらこのステッカー貼るつもりなんだ」っていうのと同じノリで、納車前にホイールを用意しているやつに、改造の方法だけ教えるのは「死ねば?」と突き離してることになるんじゃない?突き放してもいいんだけど、殺すために相談に乗るほど酔狂じゃない。
 ホイールのつけ方を低レベルで相談してくるようなやつが「こういうバイクを作ってみたい」と言うんだったら、ベース車両の基本性能とかを自分で確かめた上でどうするか決めろと言いたい。携帯電話を選ぶように失敗しても命にかかわらないものなら、スタイルだけでもかまわないけど、それならそれで基本スタイルの違う人間に相談するのが間違いだ。

M:  まず、最初に(そういうメールは)「突っぱねて正解だと思う」があって・・・
 そもそも、自分で調べる前に誰かに聞いちゃえって安易な発想で改造すると、絶対に失敗すると思う。(自分の経験と周りを見回してつくづく思う)

C:  誰でも最初は「教えて君」の時期がありますが、各人好みや、使用状況が違うので、例えば僕と同じ駆動系セッティングをした所で、その人に合うかは分らない。

B:  情報についても、インターネットで聞けば何でもただで親切に情報が出てくると思っているアホが多いね。

D:  金とるという意味じゃなく、情報のコストと言うものが理解されていないね。痛い目見て学ぶというようなコストが。

B:  ごく親切な世の中だから大概のことは教えてくれるし、それが当たり前だって思って居るんじゃなくて当たり前と思わないほどに当然な事らしい。安全と言うことについても同様らしく自分のする事がリスクを犯すという意識がない訳よ。

D:  使う力量があるかどうかは別として、200km/hを超えられるバイクの足を換えるということに無神経すぎる。

C:  確かに死んだり怪我したりしてから本人、家族からあんたのHPの真似をしたらこうなったなんて言いがかりもこのご時世、無いとは限らないので・・・

A:  確かに単車の改造は危険を伴います、四輪のドレスアップとは訳が違いますからねー。付ければいいってモノではないっすね。
 相手がどのような方か判りませんが、ただ改造したいだけならどこかカスタムショップにでも行ってもらった方が無難でしょうね。

B:  コマーシャルでもそんな感じで「インターネットはン便利」みたいな宣伝しているし、自分側の努力ってモノが欠如しているのが解らないような奴は相手にするほどの人間ではあるまい。

D:  あれ、宣伝してるやつらがすでにバカだもん。
 「インターネットで別の自分が作れる」みたいなコピーがあったが、そんなのネットおかまのことだろ。あきれてしまった。今まで経験したことのないメディアの使用に匿名性というメリットを見つけ出すやつは愚か者だ。
 これもモノで自分を演出しようとするバカの一つなんだな。

B:  バカが宣伝してバカが見ればさらにバカが加速するのも当然かぁ。
 そもそも演出なんて姑息な方法を採る点でバカが解るな。
 エーと名前ど忘れしたけど演出家が演出のない家庭を知りたくて覗きで捕まった事があったけど、演出で人を引きつけてその後も自分の生きていく間中そいつは演出していくのかね自己と演出した虚像の間についてなんか考えることもないのかな。

D:  虚像に魅せられてバイクに乗っているわけだが、200kgの車体を200km/hで走らせた瞬間は物理的存在であるわけだ。
 なぜか、バンク角のたりないバイクに乗っているやつが身の回りにいないから、会社でどんなにかけはなれた実像があっても、ある時間、ある空間には別の実像が存在する。あ、チャンバー擦ってるやつはいるのか。でも、それは物理的に擦っちゃうチャンバー作ったドジであって、「空想で」なのか「不要な操作をして」なのか不必要にステップするバカではないわけだ。

B:  演出と言うことは意図的にその虚像を作り出すことで、実像と虚像のギャップを知らない奴は居ないはず。無意識にに意識の外に出したとしても、演出している自分とそうでない自分との間を知らずに演出という行動が出来るわけはない。
 演出という行為も所詮個人の能力の範囲に限られる物だから、それを突きだして演出できるわけがない。
 身の回りにバンク角が足りない奴が居ない理由も其処にあるのだろう。
 演出だけではつき合いきれないだろうなぁ>わしら
 300キロでかっとぶ自分もかいしゃでつまらねえ想いしている自分も間違いなく現実の中にいる実像なのだ。

D:  300キロメータを価値あるギミックとして信仰している人間と、ストックのFZ、FZRでは300キロが出ません「ごめんなさい」と言っている人間との間には違和感がある。
 瞬間の300キロを味わったことがあるかどうかと、1000キロを何時間で走りきったかのどちらを重視するかは世界の違いだ。
 自分を過大評価するならば、虚像を作る人間と「別像」を持ってしまった人間とは世界が違う。語って通じる言葉がない。

B:  向こう側とこっち側って奴かな。

D:  そうかもしれない。ただ、それって、一部で有名な二元論だけど、僕が一番好きな二元論は「人間には2種類ある。人間を二つに分けて論じたがるやつとそうでないやつだ。」っていうやつ。
 もっと、些細な多様性を尊重して、「ここではアンタと違うね、明日仲良くできるといいね」みたいに、どこかで違っても全てを否定する気はない。したくなることは日常茶飯事だが。
 だから、アホをキライでも否定できないように、自分がいつそれにあてはまるかは客観的に見ていないとそのうち自分がイヤなやつになってしまうかも。
 「ホイールの色」にこだわってみたりとかね。

B:  そう言った部分があるから否定しきれないのだな。
 ただFZの改造にはメールをよこした奴らとは明確に違うポイントがある。
 機能的に問題なく且つ互換性を自己責任で確認していることだ。
 バイクのスタイルという物も重要な性能だと思わないか?
 その意味を客観的に検証出来ない奴なんかここにいないと断言できることは俺にとって嬉しいことなのだ。

D:  他人のスタイルを否定したら「スピードジャンキー」の市民権なんてありようもないから、否定はしないけど、付き合いきれないアホと呼んでおこう。一歩引いても、僕とは違う世界の人間としか言いようがない。
 ロンスイってなんか効用があるんだろうか。
 でも、あれは「アメリカンに乗りたい」みたいなスタイルから機種を選んで、そのスタイルはメーカー純正ではない(YSP純正があるからヘンだ)ということだから。そういう意味では、問答無用に否定すれば「RZV以外のバイクを選ぶ」ことを否定するみたいなことにもなるんだろうな。

B:  ただ単純にスタイルというひと括りが合うとは思わない。
 スタイルはあくまでもその姿のみであって、自分が思うことは姿勢であると思う。
 スピードジャンキーをスタイルとしているか、スピードジャンキーという姿勢を隠し持っているかは全く違うのだ市民権というパブリックな物ではなくても、内的な要素としてその分野があることは各々知っているはずだと思う。

D:  自分で持ち出した言葉だけど、自分たちをスピードジャンキーと位置付ける気はないけどね。そういう言葉で割り切る問題でないことは自分たちが知っている。

B:  最近多いリッターの牙無しバイクに対する思いと同じ物が其処にはある。ただ問題があるとすれば、客観的な部分からはその差異を認めることが難しいことでもあるし、また同じ要素を自分の中に認めることが出来るからだ。
 そしてこういった人間にイライラする理由は、その内的な要素を>ワシ等にとって大事な要素>スタイルのみ真似られることによってそのメルヘンでもある部分を冒涜されているような気分になるのだ。

D:  差別化したいんじゃなくって、やることもやりたいこともぜんぜん違うじゃん、って悟らされる。
 見た目、似たようなことを口にしているのにつまんない言動で違いがわかる。
 最新のリッターバイクで「バンク角が足りない」とか言われると、「あ、乗り方が違うんだ」って素直に納得する。すでに、「生き方」にも及んでいそうなくらい遠い世界の人の言葉だ。

B:  主観的な部分では排除したいと思うが、客観的な部分ではそれは自分に対する要素を含んでいるのでそれを否定することは出来ない。
 そのことで尚更靴に入っている砂利のように引っかかっていらいらするんだろうな。
 ただ結果が同じに見えても、それに対する目的が違うことははっきりしている。バイクに乗るためにどこかに行くのと、どこかに行くためにバイクに乗るのとは全く違うようにね。

D:  FZに10年乗って、この先も乗るということは、最新のツインの評価も、ドカの特性も語る経験を持ち得ないという貧相さはあるのだが。

B:  そういっちまったら豊穣と言うことはないと思うが・・・・
 田圃で稲が豊作であっても麦が取れないから貧相と言うだろうか?
 FZと言うフィールドで経験を重ねたことを俺は豊穣という言葉で表現したいと思う。